ショートストーリーコンテスト
ヨーロッパ渡航記
2023年に行われたフランツ・カフカ ショートストーリーコンテストでは、仲白針平さんの作品『傘』が最優秀賞として選出されました。
その副賞としてヨーロッパ一週間の旅が贈られ、この度渡航記を寄せていただきました。
前編(ウィーン)・後編(プラハ)の二部構成でお届けします。
プラハ
文・写真 仲白針平
6月6日
#プラハへ
地理的な距離も、そもそものきっかけも、どこか跳躍的なところのある今回の旅のおかげで、どうやら時間に対するスケールも狂い始めているらしい。ウィーンからプラハへは、特急列車レイルジェットで普通4時間かかる。12時間のフライトや、断続的にせよ12時間の歩行を経験したあとでは、運行トラブルにより結果的に5時間を費やした都市間の移動も短く感じられた。
持参した何冊かの本の言葉たちと、窓外の延々と緑の続く大平原を交互に眺めていると、自分の今いる地点がすっかりわからなくなってしまう。つい先日たどり着いたばかりの都市を捨て去って、私はどこへ行こうとしているのか。そこがどんな場所であれ、半透明の幽霊のようにさまよう人間を、見て見ぬふりで受け入れてくれるという保証はどこにもない。
私が雨男だというなら、あえて反論する気はないのだが、時期なのか土地のせいなのか、どうも天気がころころ変わってばかりいるようだ。この街に着いたときにも、傘こそ差すほどではなかったが、暗灰色の空からぱらぱらと降り注ぐ雨粒たちに出迎えられた。どこもかしこも石畳。その情緒を味わう余裕はまだなく、キャリーケースのゴロが壊れやしないか心配で仕方がない。
午後9時を過ぎても昼のように明るい今の季節ならば、ホテルに荷物を下ろした夕刻からでも、街を散策する時間はたっぷりあった。
#迷路の街で
全体からディテールへ、名所からひとけのない路地へ。観光地を巡るというよりは、街の静脈をたどって、ひそかに息づくこの土地の陰影と出逢いたい。都合よく考えるならば、そんな素通りしてしまいそうな小さな街角にこそ、Kの足跡を見出すことができるのではないか。
――K? いつしかそのイニシャルは作家自身をあらわす記号となり、控えめな彼の影となり、世界の見え方を一変させた仄暗い炎の輪郭となる。
その人は長いあいだずっと、レントゲンで写したモノクロの肺の隅に取り憑いたちっぽけな腫瘍のように、私の内部に潜んでいた。今、得体のしれない首なし巨人の肩に跨り、滑稽なアンバランスさでどこかを指さしている。その暗黙の指針に従って、私はまた何度となくさまよい始める。確かに存在するはずの、どこでもないどこかへ向かって。
旧市街地から逸れていく隘路、冷ややかな陰を内包したシナゴーグの脇道、この迷路のような街の、誰も知らない抜け道を行くその人の後ろ姿を追って、私は野良猫のように音もなく足早にステップを踏む。
光を集め、
ガラスをすり抜けて、
足音に耳を澄ませる。
#ビールの街
視界がひらけ、ヴルタヴァの河岸にたどり着いたとき、遠くにプラハ城が見えた。川に沿って並んだベンチで憩う人々は、この地で暮らすこの地の日常を肌にまとわりつかせている。それが私を安心させた。つかの間の休息を得て、再びもと来た方角へ。
今朝までいた都市から北上するのだから、暑さも和らぐに違いないと高を括っていたのは間違いだった。決められた仰角に停止してしまったかのような白い太陽が、街を焼き切ろうとしている。
喉が渇く。その人の痕跡を捜し求める旅の続きは明日にまわすことにして、飲む。
街中のテラス席の、あちこちのテーブルの上で見かける横に丸く膨らんだ愛嬌ある樽型のジョッキには、500mlのピルスナー・ウルケルが注がれているという。その注ぎ方にも、さまざまなバリエーションがあるらしい。私がずっと追い求めていたのは、Kの痕跡などではなく、一杯のビールの喉を伝わる冷たい流跡だったのかもしれない。今回の旅で、唯一円安の痛みを感じさせない値段なのが、このビールだった。
まだ明るい夜、人のひしめく人気店カンティーナを訪れる。運良く席を確保した私は、抜け目なく下調べしていたとおり、ステーキタルタルを注文した。トピンカと呼ばれるカリカリの揚げパンに、添えられた生ニンニクを擦り込んで、その上に微塵にした生の牛肉を載せて食べるという、私のためにあるようなこの料理を夢中で咀嚼しているうち、タルタルというどこかじれったい気のする不思議な語感に、記憶の淀みで足を取られる思いがした。
辺境の砦に赴任した若き将校ドローゴは、タタール人の襲来に備えて国境警備兵としての日々を送る。だが、いつまで待っても敵はやって来ない。それでも彼は、いつか始まるに違いない戦闘を思い描き、軍人たちとの交流を通してしだいに砦そのものの存在に魅入られていく。イタリアのカフカとも称されたディーノ・ブッツァーティの『タタール人の砂漠』を読んだのは、どのくらいの遠さの過去だっただろう。
どんなに待ち続けても何も起こらない歳月のために、かけがえのない生涯を費やすことの、やるせない虚しさというよりは、むしろその単調さゆえに気づくことのできない、人生を蝕む時の流れの切ないまでの輝きをこそあらわしたともいえる傑作と、目の前の生の牛肉との繋がりが見いだせないまま、私は神妙な気持ちでパンにニンニクをこすりつけ、肉の塊ともどもビールで流し込むという儀式を、黙々と繰り返していた。
6月7日
#カレル橋を渡る
裸足で石畳の街を走っていく。角を曲がると、さらにその先の角に、誰かの後ろ姿が消えかかっている。驟雨が地面を黒く濡らし、冷たい焦燥感があたりを覆う。薄暗い角を何度も曲がり、やがて同じ道をまた走り、走っても走っても追いつけないその影が、他ならぬ自分自身の影だったと気がついた瞬間、すべての音が消失し、私は身震いしながら目を覚ます。布団をはねのけ、不快な汗の染み込んだTシャツを脱いでカーテンを開けると、まだ夜の明けきらない灰色の中庭が、濡れた窓越しに歪んで見えた。
地図なしで、行けるところまで行く。たった一日で歩き慣れたのではない。どちらかといえば、迷うことに慣れたのだ。
ひとつ隣の通りでは、群れをなす観光客たちが歩いている。今はまだ、真新しい光と影に満たされた、一人の道を歩いていたい。
カレル橋を通ってヴルタヴァ川の向こうへ渡る。
#博物館の暗闇
ついにその痕跡を見出したのだろうか。巨大化し、直立したKを前に、私はあることに思いを巡らす。それは、重心の問題上、比較的自立しやすいアルファベットの数々のなかでも、Kはずば抜けた安定感を誇る部類に属するのではないか、ということである。というか、これほど地に足の着いた形状の記号はそうそうお目にかかれないだろう。まるで、腰に手をあて泰然とポーズをとっているみたいだ。地に倒れ、倒れたままでいることこそ唯一自分にできることであると記したフランツ・カフカその人とは、ほとんど真逆の性質を備えた文字なのだ。これにはびっくりである。
カフカ博物館の展示室に足を踏み入れて驚くのは、その暗さだ。まるで、観ることを拒むような、展示しつつ展示を否定しているような、というのは冗談だけれども(展示物はちゃんと見えます)、まさにカフカエスクな不穏さを醸し出す博物館なのだ。
罫のないノートに綴られた彼の日記や、作品、手紙などの直筆原稿の文字は、全体としては、ある確かな秩序のもとに整列させられながら、それでいてひとつひとつの単語は思いのままに、抑揚ある独特のリズムに乗せて踊っているような、彼のスタイリッシュなイラスト画たちと通じるところのある、知性と創造性が滲んだ愛嬌ある筆跡だった。「カフカ」と名付けたフォントにしたいくらいだ。
#城
太陽光線がたった今、地上に溝を刻んだばかりというような、熱く長い坂道をひたすら登っていく。博物館の暗さとは対照的な、白い石畳からの照り返しに目が眩んで、塀沿いの地面に残された、わずかな面積の日陰に頭を突っ込みたい気分だ。楽しそうに行き交う観光客の集団をよけながら、私は息を喘がせて一歩いっぽ足を運んでいった。
多少の苦難は味わったものの、物語のKとは違い、私はなんなく城の内奥まで到達する。
だが丘を登りきったとたん、黒ぐろと発達した雨雲がどこからともなく冷たい風に運ばれてきて、天気は一変した。誰もが屋根を求めて駆け出すなかで、リュックに入れておいた折りたたみ傘が役に立つ。何度目の通り雨だろう。この雨の少しあとには、容赦のない直射日光が、再び城を焼き焦がすだろう。私は大聖堂の尖塔を見上げ、まだ雨の上がりきらないうちから、眩しさに目を細める。
#新市街にて
作家の暮らした旧市街をひとしきり巡ったあとは、ムーステク駅からヴァーツラフ広場周辺の新市街に徘徊の場を移す。とはいえ、この街に滞在する以上、そう簡単にその人の仕掛けた罠から逃れられるものでもない。
ついでながら、役所広司も。
#やっぱりビールに魅せられて
なんとよく歩くことか、この足は。
黒ビールが飲みたくて、ウ・フレクーを訪れる。あらためて、料理をスマートフォンで撮る絶望的な下手さに嫌気がさし、ひたすら飲んで肉を食う行為に専念する。何杯でも飲める気がする。
周囲を見渡すと、あまりこういう場に一人で来ている人はいないうえに、アジア人がぽつんと座ってビールをがぶがぶ飲んでいるのだから、異物感がすごい。でも誰一人、私を気にするような人間はいない。レストランにいようと、トラムや地下鉄に乗ろうと、まったく気にされる感じがない。ひょっとして、私はいないのではないか。ときたま、自動扉にすら反応されないこともあるくらいだから、やはり幽霊なのかもしれない。
飲んだら、歩く。
歩いたら、撮る。
#再び、ヴルタヴァの対岸へ
トラムで川を渡り、プラハの北側を散策する。たった数駅離れるだけなのに、そこには市の中心部とは違う、凝縮された実生活の時間が流れていた。
自分のなかに、よく手に馴染む、小さな街を持ちたい。そんなふうに願っていた幼い頃、私がかろうじて想像しえたのは、自分の親や兄弟以外誰もいない、おもちゃのブロックでできた家と数本の道路だけの簡潔な領域にすぎなかった。
時がたつにつれ、私のなかの街は私とともに成長し、いつしか私をはみ出して、反対に私をその一部として包含する巨大な幻視画になってしまった。そこでは気の遠くなるほどの数の人間が生活を営み、移動を試み、ひっきりなしに退場していく。
私自身も、その街の住人でありながら、その街はつねに私から遠く隔たった場所に存在した。それがどのくらいの大きさなのかも、どんな形をしているのかもわからない。だから知らない街を訪れるたび、その場所こそが私のいたはずの場所なのだと、ほんの少しのあいだだけ信じてみたくなる。そうしてくたくたになるまで歩き回り、地面に這いつくばるようにして目を凝らす。その地で本当に探し求めていたものが、偉大な作家の足あとではなく、他ならぬ私自身の痕跡だったのだとしても、費やした時間は無駄ではないだろう。
夕方、レトナ公園の縁の坂道で、親指ほどの大きさしかない、人懐こいネズミと出会う。旅の最後にめぐり逢った、この道程における唯一の実在のように思えた。
#出発
早朝、ホテルをあとにして、駅へ向かう。
この旅のあいだ、毎朝楽しみにしていたホテルのビュッフェ式朝食が、早い時間のせいで今日は食べられない。仕方なく、列車の中で食べられるようにと、昨晩スーパーでパンを買っておいた。
私は、どんな場所へ行っても、スーパーマーケットがありさえすれば、そこで買い物をするのが好きだ。便利だし、その土地の生活に、少しのあいだだけ溶け込めた気になれるから。それに、どの国でもだいたい似たようなものだから、心構えもあまり必要ない。思えば、毎日ホテルへ帰る前に地元のスーパーに寄っていた。
新旧入り混じるプラハの駅舎と、帰りに乗った青いレイルジェット。
その街を発つとき、傘を差している人間はひとりもいなかった。もう、雨の降る気配はすっかり消え失せている。列車が動きだすと、私は座席のなかで身体の位置を整え、栞を挟み忘れたまましまっておいた本の続きをひらいた。