ショートストーリーコンテスト
ヨーロッパ渡航記
2023年に行われたフランツ・カフカ ショートストーリーコンテストでは、仲白針平さんの作品『傘』が最優秀賞として選出されました。
その副賞としてヨーロッパ一週間の旅が贈られ、この度渡航記を寄せていただきました。
前編(ウィーン)・後編(プラハ)の二部構成でお届けします。
文・写真 仲白針平
6月3日
――その街に着いて通りに出てみると、誰もが傘を差して歩いていた。
そんな書き出しで始まる小説を書いたとき、私の頭のなかには、世界にある現実のどんな都市のことも浮かんでいなかった。そにあるのはただ漠然と自分の内側に横たわる、小さくて霧のかかった不明確な領域にすぎない。それはまるで、影のブロックを積み上げて造られた、身体がすり抜けてしまいそうな人形劇の背景みたいな何かだった。
幻想の街と、実在する街と、いったいどちらの街に私はたどり着いたのだろう。
空港から市内まで地下鉄で移動し、ウィーン・ミッテ駅のスーパーでビールと寿司のパックを買う。そこから乗り継いでフォルクステアターで下車。荷物のピックアップまでに気の遠くなるほど待たされたせいで、もう午後9時を回っていた。すでに雨はやんでいたが、日も暮れた異国の見知らぬ道をひとり、荷物を引きずり歩いていく。早くも心細さにくじけそうなしょぼくれた東洋人を迎えてくれたのは、いつか映画で観たことのある気がするような瀟洒な内観のホテルと、温かく気さくなコンシェルジュだった。
#宮殿からの景色
夜更け過ぎ、再び降り出した雨が激しい風で窓に打ちつけられる音を、意識なのか無意識なのか、半分眠っている思考の周縁部で捉えつづけていると、自分が膨張し、部屋そのものになったような感覚にとらわれる。嵐の背後で空間を満たしている、物質のような密度を持った静寂に圧し潰されそうで、それが身体的な痛みを惹き起し、寝返りを何度もうつ。
朝、浅い眠りから目を覚ますと、街は嘘みたいに晴れていた。
衝動に駆られるがまま、私は地下鉄とトラムを乗り継いでシェーンブルン宮殿を訪れる。
敷地に足を踏み入れると、スケールの感覚が一瞬狂ってしまう。かつて煌びやかな繁栄を誇ったハプスブルク家の離宮は、広大な前庭の奥で、まるでウィーン銘菓であるマンナーのウエハースを横に連結したような、堅固で秩序ある佇まいを示していた。
建物を南側に回り込むと、丘陵地を見上げたずっと向こうの先に、誘うようにもうひとつの建築が顔を覗かせている。しかしそこへ行くのをためらわせるのは、ジグザグを延々と切り返す果てしのない上り坂を前に、運動不足の身体が怯んで靴底の重さが二倍になったような気がするからだ。
遠足の子どもたちの歓声に背中を押されて、私は思い切ってゆっくりと足を踏み出した。寒さと暑さの交互に繰り返す意地悪な気候に不平をこぼしながら、息を切らせてどうにか登りきったとき、ふと後ろを振り返った眼に飛び込んできたのは、コントラストを欠いた無限の空の下で、どこまでも平べったく延長していく、赤茶色の屋根が連なった端正な街並みだった。ここへ登ってよかった。心からそう思った。
#市街地へ
地下鉄やトラムに乗り慣れてくると、いくらかはその街に溶け込めた気になってくる。この街で、私はどこへでも行ける……。ただの観光客でも、現地人でもない。馴染みつつ馴染みきらない、ある種の異質な存在として、ひとつの都市にあてもなく迷い込んでいくことは、私にとって快楽にも等しい。二十歳の頃の自分とは違い、手にしているのはグリップの効く一眼レフではなく、今にも手から滑り落ちそうなスマートフォンの頼りないカメラでしかないけれど、彷徨し、そして撮ることで自分を消していく作業に私は没頭しはじめる。
#魔法の図書館
この街にいると、宮殿の内部と外部をひたすら行ったり来たりしているみたいに思えてくる。あるいは街全体が、巨大な宮殿の内側に存在しているのではないかと錯覚するほど、いたるところで出会う揺るぎない様式美につらぬかれた装飾は、建物の外壁から滲み出しそうなほどに色濃く、めまいすら覚えるようだ。
オーストリア国立図書館では、ブルックナーの展示をやっていた。それとはまったく無関係ながら、『ハリー・ポッター』の世界が頭に浮かび、すぐに自分がその魔法の世界の物語に馴染みがないことに思いいたる。現実の空間からも、魔法で描かれたフィクションの空間からも追放されかかっている気になって、私はついに宮殿の外部へとはじき出されるようにさまよいはじめる。外へ、外へと向かって。
#ナッシュマルクトでの昼食
たまたま行きついたナッシュマルクトは、細長くどこまでも延びていくウィーン最大の食品市場で、果物や野菜をはじめカラフルな食材や雑貨を扱う店舗と飲食店が、途切れることなく軒を連ねていた。
ふらっと入ったレストランで、出発前に「これだけは食べたいもの」に指定していたシュニッツェルとビールを注文する。食欲をそそる見た目にはじめは勢いよくがっつくが、いつかテレビで見た、横浜中華街で売っている台湾唐揚げの大きさを遥かに凌駕するボリュームに辟易する。終盤は、巨大なカツレツをひたすらビールで流し込むという単調さに、食べるという行為に対する疑念を抱きはじめた。そしてセットの皿を、サラダではなくポテトフライにした自分を恨んだ。
#フンデルトヴァッサー・ハウス
当初予定になかった場所を不意に訪ねてみるというのは、気ままな一人旅の醍醐味でもあるだろうし、行き当たりばったりこそを良しとする旅程においては、むしろプランどおりに進行していることの何よりの証拠にさえなりうるのかもしれない。
色鮮やかな曲線で構成されたフンデルトヴァッサーの造形は見事に有機的で、どちらかといえば人工物というより自然の産物の類縁に感じられる。現代のように、「環境保護」や「サステナビリティ」などのスローガンをことさらに掲げなくとも、はじめから人間は自然の親類であるどころか、自然そのものの一員ではないか。そんな当たり前のことに気づかされた。
#プラーターの観覧車
いつしか私は、行き場を失った幽霊のようにあてもなく、それでも前へ向かってとぼとぼと進んでいた。周囲には観光客もいなくなり、自分がどんな場所を目指しているのかと思考する力ももはや残ってはいない。日差しを反射して白く透けるような地図を、見るともなしに時折気にしながら、ひとけのない舗道を辿っていく。ふと、今いる場所が、市街地の東側に極太の刷毛でぞんざいになすりつけたかのような、あまりに広すぎる公園の脇道であることを認識する。
あわてて私はあの観覧車の姿を空中に探し求める。19世紀末に建てられ、映画『第三の男』にも登場したどこか仰々しい円形の建造物は、しかし視界のどこを見渡しても、生い茂る樹木に遮られ見つけることができなかった。
しばらく歩き続けると、ランナーや自転車の行き交う直線の大通りに突き当たる。新緑の木々からの木漏れ日と、賑やかな気配に引き寄せられ、私は正面の入り口ではなくいつの間にか脇から透過するようにして、遊園地の敷地に足を踏み入れていた。
いったいいくつのジェットコースターとフリーフォールがあるのだろう。不安を覚えるほど果てしない園内には、250以上のアトラクションがあるらしい。どこまで歩いても無限に続く遊園地。白昼の悪夢を見ている気になりながら喧騒を抜けていくと、宙空に浮いたその空間だけ時間の速度が緩やかに流れているかのように、等間隔に配置された二十人乗りのゴンドラたちが、思いのほかひっそりと回転していた。
誰かの記憶の底に行きついたような気がした。
6月4日
#美術史美術館
前日に歩きすぎたので、ウィーンに滞在する最後の日は、なるべくゆったり過ごしたいと思う。
この由緒ある壮麗な美術館の展示を観て回るのには3時間を要するとの触れ込みに、私はいくらか怖気づいていた。何よりもブリューゲルが観たい。しかしいったん鑑賞経路へ入り込むと、そんな当初の目論見は留保を迫られる。最初の展示室から巨大な宗教画の数々が、胸を圧迫するほどの厳かさで、天井や壁から覆いかぶさるようにそれぞれの命題を提示しており、こちらの息が詰まりそうなくらいなのだ。ダンスパーティーのできそうなくらい大きな部屋と、こぢんまりとした控え室のような部屋が前後左右に無数に連結し、美術館はほとんど迷路のようだった。
建築の迷路と絵画の迷路に迷い込むうち、私はまたひとつ絵画の見方をアップデートさせられていく。衝撃的なのは、あらゆる絵画にみられる構図的な仕掛けである。構図こそが、一枚の絵画における総合的世界観を構成するディテールの動きを、端々にいたるまで際立たせ、平面という次元の限界を打ち破っている根拠なのではないかと、足の裏から震えが立ち昇るようだった。
#フロイト公園
結局2時間以上かけて展示を観終わったのだが、その後の予定はあえて空白にしてあった。残りの半日を、できることなら観光客としてではなく、この地の市民と化して過ごしてみたい。それがつかの間の見せかけにすぎないとしても、ここでの実際的な生活に紛れ込み、もっと自分の姿を消し去って、あたかもそこで暮らしている誰かのように振る舞えたら……。
トラムの窓越しに見えた、ゴシック様式の双子の尖塔に誘われて、すかさず下車する。あの近くまで行ってみよう、そんな思いで地図を開くと、目指すあたりには、この国の精神科医にして精神分析学の創始者である人物の名前がつけられた公園が広がっていた。
交差点で立ち止まる。周囲では何人もの人たちが、紙製の丸い深皿の容器を携えて、どうやら公園の方角へ行く途中らしい。私はその容器を持って向かってくる人たちの流れを、逆方向へ辿るようにして進んでいく。流行りのテイクアウトなのだろうか、同じようなあの容器入りの、いわば丼飯を売る店が二店舗並んでいた。豊富なメニューに戸惑いながら自分も購入し、昼休憩の勤め人を装って、いそいそと公園へ引き返していく。
芝生の上で思い思いの時間を過ごしているのは、隣接するウィーン大学の学生たちが大半だろうか。いくらか自分もこの街に馴染んだ気になりながら、予想を遥かに超えて美味しいスパイシーなチキンと野菜のごちゃ混ぜ丼をかきこんだ。
予定も目的もない、旅の途中の、ぽっかり空いた穏やかな午後。木々の葉を透過してまろやかになった日差しと、柔らかな風があまりに心地よい。私は一本の木の下に腰を据えて、読みかけの本を開くと、飽きもせずにいつまでもページを繰り続けた。
夕方、ホテルに戻ると手紙が置いてあった。「ご迷惑をおかけします。パーティーが開催されるため、ルーフトップテラスが午後9時まで閉鎖になります。お詫びと言ってはなんですが、よろしければ近くのジェラート屋さんで、お好きなものを召しあがってください。私たちのせめてもの気持ちです」
添えられていたチケットを持って、いつまでも日の暮れそうもない路地を私は歩いていった。